代表取締役
CREATIVE DIRECTOR
KOMINE KAZUYOSHI
1995.4 | 株式会社読売広告社入社 名古屋支社営業部に配属 |
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1999.3 | クリエイティブ局キャスティングルームに転属 |
2001.4 | コミュニケーション本部クリエイティブ局第1部にCMプランナーとして配属 |
2006.4 | クリエイティブディレクターに昇格 |
2009.10 | コミュニケーション デザイン センター(CDC)兼務 コミュニケーションディレクター/クリエイティブディレクターとして活動 |
2011.4 | クリエイティブ局第3ルーム ルーム長補佐(最年少役付CD)に昇格 |
2011.7 | 株式会社読売広告社を円満退社 |
2011.8 | 株式会社カタボーを立ち上げ 代表取締役に就任 自社オリジナルの事業開発とプロモーションから、広告クリエイティブまで幅広く事業を展開中 |
食品、アルコール・飲料、菓子類、流通、ファッション、出版、自動車、不動産 等多岐にわたる業界の担当経験あり。
タレントキャスティング部にも在籍していた知見を活かし、数多くの国内外有名タレントの案件も経験。
TV-CMからWEB、プロモーションまで、一貫したコミュニケーションプランニングの企画立案・実施経験を持つ。
クリエイティブディレクター/コミュニケーションデザイナーとして活動中。
専務取締役
EXECUTIVE DIRECTOR
FUKAYA TARO
1999 | 株式会社読売広告社入社。 高志・創造・挑戦・貫徹を胸に刻み社会人人生スタート! 営業として ハウスメーカー・不動産を担当し「責任感」を知る。 建材メーカー・建設会社を担当し「信頼」の重みを知る。 宝飾企業を担当し「学び」の大事さを知る。 菓子メーカーを担当し、「人」の本質を知る。 |
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2009 | 先輩から社会人とは「人間力」だと。 |
2010 | 父親から「恩義」を忘れる人間になるなと。 |
2011 | 件の数々の教えと思いを胸に決意 同社を退社後、株式会社カタボーを設立。 |
PRODUCER
IWAI TOMOYUKI
1974 | 長野県出生 |
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1997 | CM制作会社入社 ハンバーガーチェーン、家電量販店、電化製品製造業、日用品製造業、総合小売業等を担当 |
2005 | 総合広告制作会社入社 住宅設備機器製造業、金融業、保険業、不動産業、住宅展示場運営業等を担当。 |
2011 | 株式会社カタボー参画 ホームセンターチェーン、ファッションメゾン、自動車製造業、公営くじ、住宅製造業、化粧品製造業を担当 |
PLANNER
SATO KOUGA
1999 | 東京都板橋区にて爆誕 |
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2004 | 幼稚園入園。当時は人と話すのが苦手でいつもいじめられていたらしい。 見た目も太っていて歯並びも悪くおまけに目も悪かった。 母親は父に「息子の将来は終わりだ、、、」と毎晩泣きながら言っていたらしい。 どんな親やねん |
2010 | 小学五年生、眼鏡をかけるようになった。父が不憫に思い、ない貯蓄を切り崩し歯並びの矯正をさせてくれた。 「歯以外は自分でなんとかしてくれ」と言われた。きつかった。 |
2014 | 高校1年生、この頃、眼鏡からコンタクトに変えた。なぜか気付かぬうちに顔が整って、ある程度ハンサムになっていた。 「元V6岡田准一」に似てるということで、この頃のあだ名は「ひらパー兄さん」だった。 |
2019 | キャバクラでアルバイトをし、経営者の方々から寿司をご馳走になりまくっていた。 その後、縁があり、ガールズバーで店長をやり店を立ち上げることに、、、 いつの間にか「ガルバー兄さん」となっていた。 |
2021 | 8月、バーを辞め株式会社カタボー入社、日々勉強中 |
ACCOUNT
SHIBUTANI AYANO
青森県生まれ
群馬県で学生時代を過ごす【幼少期からとにかく食いしん坊で大食漢だった為テレビチャンピオンの大食い決定戦に出場することを夢みていた】
2008 | 物流会社の事務員として入社 |
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2020 | 退職 |
2021 | ご縁がありカタボー入社 |